後遺症の恐怖と病院の素晴らしさ とあるコロナ感染者の独り言

プロローグ

この1週間のドタバタは、自分だけにとどめておくのはあまりに惜しい経験でした。

本来なら、飲み会のネタになるような話なのですが、最近はコロナ問題でそういう機会もなく、忘れてしまうのももったいないので、一連の話をブログに書きとどめようと思った次第です。

まずは著者のプロフィールから。現在、とある外資系コンサル会社に勤務しています。年齢は60歳と6ヶ月。この会社も普通の企業同様に60歳が定年です。定年後に再雇用の仕組みがあり、その適用を受けていったん退職、同じ会社に再就職という形で現在勤務しています。仕事の性質上、ほぼ100%リモート勤務です。

コロナ感染を極端に恐れている人間でして、感染が怖くてこの3年間、飲み会には一切参加していません。そんな私もついにコロナにかかってしまったのです。

 

第1部 コロナ発症と療養生活

症状が最初に出たのは2023年2月7日(火)の夜でした。いつものようにリモートで仕事をしていたのですが、妙にだるい。熱を測ってみたところ38度。ヤバいと思いました。次の日の朝も38度のままだったので、検査を受けることにしました。
ネットで発熱外来をやっている近所の診療所を探して、そこに事前に連絡した上で、行って検査を受けました。インフルはOKだったのですが、コロナは陽性でした。

ショックでした。そこで5日分の薬を処方してもらい、家に帰りました。細かい話ですが、現在はこのパターンで薬をもらう場合薬代が無料なのですね。もうすぐ、コロナの分類が変わると有料になるはずで、そういう意味ではギリギリセーフだったとも言えます。
医者に聞いたところ、東京都はまだ、療養施設の運用をやっているとのこと。家族に迷惑をかけないため、施設に申し込むことにしました。65歳未満の場合、都への届け出は必須ではないのですが、施設を使うために必要とのことでした。ネットで手順など調べて申請をします。一時期に比べると感染者が減っているということがよかったのだと思います。手続きは順調に進み、翌2月9日(木)に施設に入所します。
入所したのは「ペット同伴宿泊療養施設」という船の科学館の駐車場にある施設です。

https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/shien/syukuhaku_junbi.files/20211228leaflet_pet.pdf

ここでの話は本題と関係ないので省略します。2月16日(木)に健康になって、自宅に戻った形になります。

第2部 すわ、これがコロナ後遺症か 入院するまでのドタバタ

間の土日を挟んで、2月17日(金)、2月20日(月)はいつも通り、リモート勤務で仕事をしていました。本人は全然普通に戻ったつもりでした。(療養期間中も後半はパソコン開いて普通に勤務していた)。しかし、2月20日(月)の夜に異常事態が発生します。
夜にパワポ資料を作っていると、妙に頭がクラクラするのです。生ゴミを捨てに部屋を出て1階まで階段を使って上り下りするとき、足元がふらつく。なんだか変だと思いつつ、深く考えずにそのまま寝ました。

しかし翌2月21日(火)の朝、決定的な問題が発生します。前日夜の「クラクラ」がよりひどい状態になり、まともに立って歩けないのです。どれぐらいひどい状態かというと、立って家のトイレまで行けなかったです。仕方がないので四つん這いで行きました。
更に悪い状況が続きます。普通に食べていた朝食を全部戻してしまったのです。嘔吐はその後も続き、確か、家にいる間に5回トイレに駆け込んだかと思います。

 

タイミングから普通に考えると「コロナ後遺症」の可能性が大です。ちまたに聞く話だと、こういう患者を受け入れてくれる病院は少なく、病院を見つけるのがとても大変とのこと。さあ、どうしよう。

 

最初の試み あえなく失敗

最初に試みたのは、いつも風邪薬を出してもらったり、インフルエンザの予防接種を打ってもらっているいわゆる「かかりつけの医者」に相談することです。早速、この医者(いわゆる個人開業医)に電話してみたのですが、これが絵に描いたような「塩対応」でした。こういう場合のために東京都で「うちサポ」という窓口があるはずなので、そちらに聞いて欲しいの1点ばり。うちサポの電話番号すら教えてくれずに、一方的に電話を切られました。いわれるままに「うちサポ」にも電話してみましたが、明らかにバイトでやっている感じのお兄さんがでてきて、ネットで調べればわかるような病院の紹介しかしてくれませんでした。

その会話の中で、「かかりつけの医者で陽性判定をしてもらったのなら、そこに相談してはどうか」との一言がありました。これしかないと、すがる気持ちで陽性判定を出した診療所に改めて電話をした次第です。

二度目の試み 一見うまくいったように思えたが。。

この診療所に電話したところ、先ほどの病院とは真逆の反応でした。どこの病院でも、希望するところに紹介状を書いてくれるというのです。ありがたや。近所の病院では一番格上のA病院の紹介状をお願いすることにしました。紹介状はFAXで先方の病院に送付済みで、妻が原本をとりにきてくれれば、それを持参して病院に行けば大丈夫とのこと(この時点では自力では近所の診療所に歩いて行くのも無理そうだったので)。

妻経由で無事、紹介状も入手し、念のため事前にA病院に電話したところ、話が全然違うのです。受付のおねえさん曰く、紹介状の宛先の「総合診察科」は完全予約制で、紹介状があっても今日の新規外来は受け付けられず、一番早くて今週金曜日になるとのこと。それは遅すぎです。ということでいったん撤退しました。

三度目のチャレンジ ようやく病院が見つかる

この期に及んでは、元の診療所にすがるしかありません。改めて先ほどの診療所に電話し、一部始終を伝えます。A病院、厳しそうなので、その場合は例えばB病院のような、近所の他の病院で構わないので、入院含めてみてもらえそうな病院を探して欲しいことも伝えておきます。「先生に相談して折返し連絡します」との受付のお姉さんの言葉。

しばらくして電話がかかって来ました。診療所の先生がA病院の先生と直接会話してくれたらしく、A病院でも本日見てもらえることにはなった。しかし、ベッドの空きがないので入院は不可。とのことでした。それでは意味がないので、「B病院で再調整をお願いします」と改めて依頼しました。再び電話がかかってきて、こちらは無事に調整できたとのこと。行くときは、タクシーとかでなく救急車を呼んで下さいという話でした。いやあ、よかった。おそらく面倒くさい調整をしてくれたのであろう診療所の先生には感謝しかありません。これからは、かかりつけの医者もこちらに変えることにしました。

自分の病気で救急車に乗るのは、人生でこれが2度目です。実は、このことがこの後の入院生活と大きな関係があったのですが、この時点でそこまでは想像が付きませんでした。救急車に乗り込んでからも、当初診療所からの依頼の話とうまく繋がらず、バタバタしたのですが、なんとか話が通じて救急車が出発します。

ちなみに、前回のときもそうでしたが、救急車は、患者が乗り込んでから出発するまでと、出発してから病院に到着するまでの時間でいうと、前者の時間の方は長い気がします。入院先の調整はそれくらい大変なのです。

第3部 入院生活

入院初日(火曜日) 着の身着のままでベッドに 人生初の病人体験

そして、救急車はB病院にたどり着き、自分は担架で「処置室」とよばれる救急患者用の病室に運ばれます。これから4日間の付き合いになる、担当の内科の先生と初めて話をします。まずは、検査の方針を教えてもらいます。

今回の私のような「ふらつき」は、原因として大きくは脳梗塞の可能性と、三半規管のような耳鼻科系の可能性があること、後者は時間が経てば治ることが多く、致命傷でない可能性が高いが前者の場合、一歩誤ると命に関わるので、まずは前者の可能性がないことを優先して調べたいとの話でした。

そして、この説明の直後に早速脳のCTスキャン検査を受けます。結果は問題なしということでまずは一安心です。ただ、この日のうちに、もう一つの耳鼻科の診察までは受けられませんでした。そこで、私から原因がはっきりするまで入院させてもらえないかの依頼をしました。この希望は聞き入れられ、着の身着のままで即時入院となった次第です。

私はこうなることはある程度読んでいたので、スマホとその電源は個人用・業務用両方持ってきています。予想通り、このスマホ達は後日活躍することになります。最低限の衣類、歯ブラシ、ひげそりなどは、妻が購入したものを入手しています。(現在は面会は特別の事情がない限り不可)
4日間の入院生活で辛かったのは、常に点滴付きであったことです。この管を体に刺していると、当たり前ですが動きが不自由です。シャワーを浴びることもできず、入院中は1回だけ、体をぬれた紙タオルで拭いたことがあるだけでした。とくに入院したてのときは、足元がふらつくので、車椅子だったりして、ますます不自由です。病人は大変なんだなと思いました。

朝の事件があっただけに、夕食を食べること自体、結構怖かったのですが、特に気持ち悪くなることなく、食事ができました。寝ている最中に間違ってナースコールのボタンを押してしまい、看護師さんに迷惑をかける失敗をしましたが、容態も落ち着いてきて、それ以外は問題なくこの日は終わりました。

入院2日目(水曜日) 異常事態発生

異変は次の日の朝やって来ました。左下腹部が妙に痛いのです。熱も入院時より高くなって37.7度。この痛み、記憶があります。そうです。前の方で自分が理由で救急車に乗ったのは今回2回目ということを書きましたが、その前に乗ったのも、同じような下腹部の痛みと嘔吐が理由で、朝まで待ちきれずに深夜に救急車を呼び出したのです。実は、この時は、搬送先の病院で血液検査異常なし、レントゲン異常なしで、何が悪いかわからないけれど命に別状はないとかいわれ、痛み止めの薬だけもらって返されていました。仕方がないので、朝に別の病院にいき、CT検査一発で尿管結石とわかったのです。この時は幸いなことに、すぐ結石は排出され、大事には至りませんでしたが、まあ、あのときの痛みは自分の人生で一番つらいものだったと覚えています。

ということで、今回は自分の意思でナースコールのボタンを押し、この痛みは尿管結石だと思うので、追加で調べて欲しい旨を看護師に訴えます。同時に、朝食は戻しそうなので食べられそうにないという話もしました。その時の会話で理解したのですが、前日の点滴では単なる栄養剤だけでなく、「吐き気止め」の薬も点滴されていたのでした。なんだ、昨日の夜、食事をしても気持ち悪くなかったのは治ったのでなく薬の効果だったのか。このままでは食事もまともにできないので、吐き気止めの点滴も打ってもらうことにします。

私の願いは聞き入れられ、その日の午前中に速攻で二度目のCT検査が入れられます。その後、追加でレントゲン検査も。この日の夕方、泌尿器科の先生が直接病室に来ていただき、自分のパソコンを操作しながらCTとレントゲンの写真を見せてくれました。
結論からいうと、私の予想はズバリ的中で、痛みの原因は尿管結石でした。ただ、尿管結石の中では軽微なもので、4mm程度の小さな結石が、膀胱に落ちる一歩手前の状態でとどまっているとのこと。薬で痛みを抑えながら、排出を促すことができるのではということでまずは一安心です。

見せていただいた写真でわかったのですが、CTだととても鮮明で素人でもひと目でわかる結石は、レントゲンで判別するのは極めて困難で、「ここにある」といわれてわかるかどうかギリギリな状態です。写真を撮ったのはCT、レントゲンの順番であり、しかもレントゲンはCTの撮影をしてかなり時間が経ってから取り直したのです。

なぜCTだけで病名がわかったのにわざわざレントゲンを撮り直したのか。先生に聞きたくても聞けなかった私の疑問点がここにあります。私なりの想像は以下のもの。撮影の大変さということでいうと、レントゲンは簡単に行えるがCTはおおがかりで大変です。見分けるのが難しいとわかっているレントゲンで今回の小さな結石を見つけることができるか、先生は実験していたのではないかと。そして、この想像は、上で書いた「自分が初めて自分の病気で救急車に乗ったけれど原因がわからなかった事件」と繋がったのです。あのときは、深夜でCTの準備ができなかったという理由でX線しか取らなかったのだと思うのです。しかも当直の先生は若手の経験のなさそうな先生でした。それで結石は見落とされたのか。いくつかの疑問が一本の糸でつながり、一人で勝手に納得していたのでした。

この日は、もう一つ別の診察を受けています。ふらつきの原因の本命である耳鼻科です。こういう各科とのやりとりは、担当の内科の先生が全部やってくれていると思うのですが、本当にありがたい限りです。

この診察で、三半規管系の病気の可能性が高く、薬を処方するので、今後は入院でなく普通に通院で構わないとの判断をしてもらいます。

 

こうやって、各種診察で大忙しだったわけですが、それ以外にも大変なことがありました。診察の合間に業務用スマホで自分宛のメッセージを見ていたのですが、そもそも入院時にそのことをちゃんと伝えることができてなかったために、急な対応を求められる依頼がいくつもありました。
一番強烈なのが、私の所属長からのメッセージで、この日の午後、予定されていた社内研修で予定していた講師が都合が付かなくなったので、代わりをやって欲しいというもの。うわ、これはいくらなんでも無理です。しかし、バタバタしている中で私が入院していることすら上司に伝えていなく、そのことをわびながら丁寧にお断りしました。メッセージに気付くのにちょっと遅れたら、致命傷になっていたので、ギリギリセーフでよかったです。
普段、私はこの類いのメッセージには比較的マメに返事を返す方だと思うのですが、火曜からはさすがにそこまで気を回している余裕がなく、そのことをそれとなく責めるようなメッセージもあと、2、3通。いずれも丁寧にお断りしておきました。

 

そんなこんなで怒濤の水曜日は終わりました。

夕方に担当の先生が病室に来て下さり、今日のまとめと今後の予定について会話します。今日になって急に体温があがり、また血液検査の結果でも一部昨日までなかった異常値が見つかり、理由がわからず頭をひねっていたそうです。尿管結石が理由であれば、これが全部説明が付くとのことで、今朝の私の訴えは結構ヒットだったようです。
今後については、焦点はいつ退院できるかです。先生から明日一日様子を見て、問題がないようなら最早で金曜日という案が示されます。
先生には言いませんでしたが、それ、とても助かります。実はその週の土曜日午前に家の修理で業者を呼び出すことにしており、その予定を面倒なので変更したくなかったのです。「そうしてもらえると助かります」とだけ、先生には伝えます。

入院3日目(木曜日) やっと会議に参加できたのに誰もいない

前の日の一連の診察の結果、前日夜から大量の薬が出されるようになります。この薬が効果てきめんで、この日から、腹部の痛みとか、吐き気とかいった症状としての問題点はほとんどなくなりました。

あ、これなら、今週参加できていなかった、プロジェクトの朝会に今日は入れる、と思ってスマホで会議に入って待機していたのですが、定時になってもだれも入ってこない。理由は、メンバーから来たチャットのメッセージでわかりました。なんと、その日は祭日だったのです。前の日が忙しすぎて、そんなことは意識から飛んでいました。

病院自体も普通の診察科はおやすみです。ということで、前日とは打って変わって平静な一日でした。透析用のスタンド持ちながら、コンビニに買い出し(といっても水を買ったくらいですが)に行ったりしました。病院内のコンビニに行ったくらいなので、足元はややふらつくものの、入院当日よりはかなり改善した感じです。次の日の退院に向けて期待を持って、この日は終わりました。

入院4日目(金曜日) 最終兵器MRI検査

金曜日の午前中、改めて今後の方針について担当の先生と話します。

病院に来た当初の話が改めて提示されます。ふらつきは脳の梗塞によるものなのか三半規管系の問題によるものなのかという議論です。今までの診察結果で後者が理由である可能性が極めて高いことはわかっているものの、先生としては念には念を入れたい。それは、具体的にいうとMRI検査をしたいというのです。

MRI検査はCT検査と比べても遙かにハードルの高い検査で、通常だと2週間先にようやく予約を入れるとか、そんな世界です。「今日中になんとか、検査の予定を入れるので、今日退院するかどうかその結果次第ということにさせてもらえないか」というのです。ここまでお世話になった先生に言われたことを断るわけにはいきません。「お願いします」と返事をしました。
そして、午前中に検査に行けることになりました。人生初のMRI体験です。あまり事前知識はなかったのですが、知らないでよかったかもです。時間もかかる(20分程度)のですが、音がすごいのですね。私は、自分の嫌いな、ディズニーランドのスペースマウンテンに似ているのではないかと思いました。ちょっと長めのスペースマウンテンだと思って我慢した感じです。

この日は、いくつもの社内会議にもスマホから参加しました。水曜日の段階で会議に参加するなど想像できなかったので、2日間で驚くほど状態がよくなったことになります。健康とはありがたいものだと、今更のように感じました。

この日の午後、先生からMRIの結果についての話がありました。ふらつきは障害を起こす脳の部位でいうと小脳であり、小脳に関してはまったく問題がないことがわかった。ただし、いい話ばかりではなく、側頭葉にちょっとあやしい影が見つかったとのこと。急いで対応する必要はなさそうだが、なんらかのフォローが必要な可能性もあるので、別途外来で脳神経内科の予定も入れさせて欲しいのだそうです。
条件付きではあるものの、この日のうちに退院したいという希望はかない、今日はこうして家からブログ記事を書いている次第です。

エピローグ「責任を全うすること」の重要さ

今回の一連のことで感じたのは

  • コロナの後遺症は怖い
  • 総合病院による医療は素晴らしい

の2つです。今回は結果的に全然別の病気が同時に起こって、わけのわからない状態になっていた面があると思います。どこまでがコロナが直接のきっかけだったのかは定かではありませんが、コロナ療養で長期にわたって普段と違う生活をしていたことが理由の一つであることは間違いないので、そういうことを含めて、いろいろ影響を与えるコロナという病気は怖いのだと思いました。

そして、もう一つ感じたのが、今回入院した総合病院の素晴らしさです。後で振り返ってみると、診療科としては内科、泌尿器科、耳鼻科、脳神経内科の4つの科の先生に見てもらったことになります。入院したことで、内科の先生が責任を持って、こうした調整をしてくれたおかげで、ややこしそうな病気も短期間で回復することができたわけです。こういう総合的な医療を提供できる日本の総合病院は素晴らしいと感じました。

加えて、今回、担当いただいた内科の先生が、患者の健康のため、責任を持って対応していただいたことも、とても大きなことでした。このことは、入院先を見つけてくれた診療所の先生に対しても言えます。これは、医療に限らず、どんな仕事に対しても言える訳で、自分の普段の仕事においても、常に「自分の持つ任務に対して責任を持つ」ことは意識しないといけないなという気持ちを新たにした次第です。